仙人 芥川龍之介

  • 2011.11.25 Friday
  • 17:00


今日は芥川龍之介の『仙人』を紹介します。
これはなんとも不思議なお話しです。
仙人になりたい、という少年が主人公の物語です。


「仙人」というのは、道教の教えの中に出てくる、山に住み空を飛ぶ不老不死の者のことです。仙人とは、天宮に赴き、透明人間のような存在にもなれ、朝日や夕日を食べ永遠に生きることが出来る、という設定になっています。西洋で言えば、魔法使いのような存在です。


道教は、老子の思想とは無関係に生じた中国の宗教ですが、その教えはかなり老子を参考にしている宗教です。老子と道教が異なっているところは、老子は「不自然な活動をするな」と述べ「無為自然」を説いているのに対して、道教は民衆に対して宗教による救済を積極的に試みているところがまったく違います。


それから、老子は「長生き」にこだわらないですし「死」にこだわらないということを説いていますが、道教では不老不死になる方法がある、という幻想を説いています。


道教は老子の思想とはかなり違う活動をしているんですが、その中心に老子があるのがなかなか奇妙です。老子からすれば道教は老子の思想を受けついでいない、と言うはずです。しかし、道教にとって老子は神様のような存在で、教祖なのです。


道教は、現代ではあまりメジャーではない宗教ですが、かつては仏教や儒教に匹敵するほど大きな宗教団体でした。道教はもともと、中国古代の母系氏族社会で自然発生した原始宗教で、それに老荘思想や儒教や仏教などを取り入れて広まっていった宗教です。


芥川龍之介は、この道教が発祥の「仙人」にかなりこだわっているようで、「杜子春」という話しも、仙人になるための修行が話の中心になっています。


この「仙人」という短い話は、オチがどーなるんだろう、という期待を抱かせるのが上手いなあ、と思います。
この少年が、僕はどうも好きなんですが。
ほんとうに仙人になりたい、という少年。




http://akarinohon.com/center/sennin2.html (約20頁 / ロード時間約30秒)


家霊 岡本かの子

  • 2011.11.10 Thursday
  • 00:01


今日は岡本かの子の『家霊』という掌編小説を紹介します。これは、岡本かの子の代表作といわれるものです。




なんだか福田平八郎の日本画のような、どこかで確かにこんな絵を見たことがあったような気がする、記憶の中へと入りこんでゆく物語です。情景がありありと思い浮かび、いつまでも消えない印象がのこるというのがこの小説の魅力のように思います。




ほんのすこしだけあらすじを書きますと、主人公はつい最近、母親のかわりに“どじょう屋”につとめはじめた娘のくめ子です。食事代を払えないほど貧しい、老いた彫金師が、どじょう汁を食べに来る。長生きによい、滋養がある汁を啜りに来る。このご老人が母となにか深い縁があった。


続きは本文をお読みください。




娘 岡本かの子

  • 2011.10.08 Saturday
  • 01:19

今日は岡本かの子の「娘」を紹介します。

ついこのあいだノーベル平和賞が発表されて、民主化が遅れる地域で女性の地位向上に尽力したとして3人の女性がこれを受賞しました。なにかこう、理想的な活動をしている人の気持ちというのはどういうものなのだろうか、などと思います。


人によって仕事の理想はかなり違いますよね。ある人にとっては喜んでもらってなんぼだとか。ある人にとっては楽でお金が入るタイプが良いんだとか。ある人にとっては汗水垂らして体を動かして対価とやりがいを得ないと理想的な仕事とは言えないとか。ぼくの場合は、創造的な仕事をしたい、というのが理想なんですが。


この掌編小説には、理想的な「自由」というものを手に入れたい少女の気持ちが生き生きと描き出されています。ボートを通じて、室子という少女は自由を実感したいと思う。それで見知らぬ異性がふっと割り込んできて、その男と自分とのあいだに、たしかに自由を感じる、という話です。「映画というのは30分番組くらいの濃さのストーリーをじっくりと2時間追いかけられるようなものに出来たなら、それが理想的だ」というような話を聞いたことがあるんですが。このごく短い物語を2時間ものの映画に作りあげられたらずいぶん爽快な映画になるんじゃないかと思います。ほんの30枚程度の掌編小説です。ぜひお読みください。


吾輩は猫である 第一章 夏目漱石

  • 2011.09.25 Sunday
  • 10:34


今日は夏目漱石の処女作『吾輩は猫である』の第一章だけを紹介してみたいと思います。
当時、これがすっごく売れたんです。「おもしろい」という理由で。それで第一章だけ読んでみるとかえってその面白さがよく判るんじゃないかと思って、第一章だけを切り取ってみました。『吾輩は猫である』の第一章だけを読んでみてください。ほんの50枚程度の掌編です。これが当時の、そのとおりの読まれ方だったようです。




この小説はあまりにも人気が出すぎたので、この第一章のあと、蛇足に次ぐ蛇足で物語を付け足して、途中から小説そっちのけで漱石自身が文明批判をしはじめるような部分も多く、書いた張本人である漱石自身が、あれはちょっと全体として小説にならなかったな、と言っているような、奇妙な長編になるのです。ですから『吾輩は猫である』というのはかなり漱石マニアになるまでは、全文読まないほうが良いんじゃないかというような冗長さなんです。



これから漱石を読んでみようという人は、まずは夏目漱石の『坊っちゃん』から読むことをお薦めします。ちょっと長いですから、ブラウザで読むよりも本屋で『坊っちゃん』を買っちゃったほうが良いんじゃないでしょうか。『坊っちゃん』という小説は、吉本隆明さんの『夏目漱石を読む』(筑摩書房)によれば日本文学史上随一の悪童小説なんです。読んでみれば判りますが、とにかくケンカケンカに明け暮れて、変な妄想とやたらな正義感に突き動かされて、とんでもない悪さをする男の奮闘が描かれています。








トカトントン 太宰治

  • 2011.09.15 Thursday
  • 13:44


今日は太宰治の『トカトントン』を紹介します。
『トカトントン』という小説はとにかく強い印象が残る物語です。このように読者を引き込む力が強い短編小説を書ける作家は数少ないんじゃないでしょうか。『トカトントン』というオノマトペがひとつの回路を形作っていて、その記憶がずいぶん長い間わたしたちの記憶に刻まれているように思います。内容が好きかどうかは意見が分かれるかと思いますが、太宰治作品の、引力の強さというものは誰もが目を見張るのではないでしょうか。








愛よ愛 岡本かの子

  • 2011.07.22 Friday
  • 12:35

今日は岡本かの子の「愛よ愛」を紹介します。ほんの3ページほどの掌編ですから、ぜひお読みください。岡本かの子の文章は、全体の中のたった一文でもイメージが広がります。すごいですよね。


7行目あたりにこんな文章があります。

おいおいたがいに無口になって、ときには無口の一日が過(すご)される。けれども心のつながりの無い一日では無い。この人が眼で見よと知らする庭の初雪。この人が耳かたむける軒の雀(すずめ)にこのわたしも―




というのの雀(すずめ)のイメージがなんか良いです。小野竹喬の絵画みたいです。自分でもこういう文章表現をやってみたいと思うんですが、どうもうまくいかない。たぶん実際にそういう事実にポンと突き当たってから書いているから上手く書けるんじゃないかと思います。「僕も同じようにしてみたい」と思うのですが、そう思って書いてみるとどうも不自然ですから、うまく書けない。

藪の中 芥川龍之介

  • 2011.07.11 Monday
  • 16:37


今日は芥川龍之介の《藪の中》を紹介します。総ベージ数約20枚ほどの掌編小説です。
僕は芥川龍之介の小説の中で、この小説にもっとも興味を抱きます。芥川龍之介といえば短編の名作が多く「蜘蛛の糸」「杜子春」「トロッコ」「仙人」などが有名で、普段まったく小説を読まない人でも一作は読んだことがあるんじゃないかと思います。芥川龍之介と言えば、ぼくはもうこの「藪の中」がもっとも気になるんです。




「藪の中」というと事件の真相が全く判らないという意味ですが、この小説が元になって「藪の中」という言葉が出来たわけです。




藪の中で殺人事件が起きる。
いったい誰が殺したのか分からない。調べれば調べるほど、本当は誰が殺したのかが分からないんです。遺体を目撃した樵(きこり)は、強盗殺人ではないかと述べる。さまざまな証言者が出てきて、犯人がおおよそわかってくる。
その犯人である多襄丸が「私が殺した」と述べる。
ところが、殺された男の妻が現れて「夫を殺したのは多襄丸ではない、私が殺した」と述べる。
一つであるはずの真実が、どうしても一致しない。
最後に、殺された男が、巫女に乗り移って証言する。
するとこれまでとはまったく違う事実が明らかになる。
五人が見た真実がいずれもまったく異なっている。
「判らない、ということが明らかになり、判らないことが判る」という物語です。




この小説は、戦後日本の映画史にもっとも明確な指標を作りあげた、黒沢明の映画「羅生門」の原作そのものです。映画「羅生門」の脚本は橋本忍で、この「藪の中」という陰惨な物語を、みごとなまでの希望の物語に書き換えていて、黒沢明はカンヌ映画祭でグランプリを受賞します。黒沢明と橋本忍は、藪の中という物語を借り受けながら、陰惨な事件があったことを明確に述べながら、しかし、これだけはゆずることの出来ない希望である、ということを一つはっきりと描き出しています。この芥川龍之介の「藪の中」という原作を読んで、どうしても映画が観たくなったら、レンタル屋さんで黒沢明の「羅生門」をぜひどうぞ。







蜘蛛の糸 芥川龍之介

  • 2011.05.25 Wednesday
  • 11:07



今日は芥川龍之介の蜘蛛の糸を紹介します。
極樂の蓮池のふち、というのが、どういうものなのだろうかと、小さい頃によく空想していました。祖母の家の仏壇というものに、お釈迦様と浄土らしきものとがある。それでそれの原形というのがどこかにありそうだ、と空想する。仏教画には大変に怖ろしい地獄絵と、雲の上に立っているお釈迦様の絵があって、その記憶とこの小学校の校舎の中で読んだ「蜘蛛の糸」の情景の記憶が入り交じっていて、実際には無いとしても、そういう「極楽」という世界がある、ということになっている。




とりあえず蜘蛛を殺さないようにしよう、と小学生の頃思ったのでした。それで蜘蛛を殺さないと言うことを確認するために、湿った庭で蜘蛛を探すわけです。躑躅の木の根元あたりに小さい蜘蛛が居ると、その蜘蛛をじーっと見ていて、糸くずのように小さいけどやっぱりしっかりと生きていて、自分よりも上手に糸を操っている。蜘蛛というのはたしかに、地獄と極楽の2つを空想させるのでした。どちらかというと極樂に住んでいるように思える。





http://akarinohon.com/basic/kumono_ito.html 総ページ数 約5枚


岡本かの子 愛

  • 2011.05.14 Saturday
  • 00:01
今日は岡本かの子の《愛》を紹介します。
ほんの3ページの掌編小説ですから、どなたでも最後まで読めますよ。
最近すこし忙しいです。忙しいという文字は、心を亡くすと書くんですよねえ。のんびりしたいです。ちょっと前までは誰にも会わず、誰とも話さず一人でのんびりと生きていたのですが、最近はなんだかすることが多いのです。ふだんはただボーッとしていれば良かったんですが。なぜかそういうわけにもいかなくなってきました。のんびりする時間ができれば、また何もしない時間を楽しみたいわけです。最近はなぜかは判りませんが、あれやこれやと問い合わせを受けます。新幹線が僕の体内を開通したような気分です。



岡本かの子というかたは、太陽の塔をつくった芸術家・岡本太郎の母です。小説と本人とは別だ、とは思いますが、それにしてもこの掌編小説はまるでエッセーのように記されていて、本当のことを書いているように思えます。作者岡本かの子の波瀾万丈な人生が詰め込まれているようで、なんだか気になります。こんな激しい女に愛される男は、いったいどんな人なのか、ということに興味を抱いて読んだのですが、最後に〈ビスケット〉という言葉がポンと投じられていて、それがなんだか印象的で好きになりました。



魯迅 故郷

  • 2011.05.12 Thursday
  • 07:00
今日は中国の文学者、魯迅の小説《故郷》を公開します。数十ページほどの、ごく短い小説ですのでぜひお読みください。



魯迅は厳しい状況の若者を辛辣に描ききることで有名ですが、今回は魯迅の小説の中でもっとも静けさのあるものを選んでみました。僕は“自然と人”との関係性を描き出している古典が好きです。それはちょうど、近代美術においてどんなものが好きかと問われた時に、やはりなんと言っても風景を見事にとらえた日本画や印象派や山水画が好きである、と答えるのと似た理由です。文学の場合は人を描き出しているわけですが、その人々がどういう自然の中に立って居るのか、というのを感じさせてくれ、その風景を思い起こさせてくれるものが好きです。



この物語は、中国という非常に広大な大地に生きる人々の一つの悲哀を描き出しています。陸地が途方もなく広いですからひとたび故郷を離れると、二度と再会は叶わないかもしれない。しかし生きてしっかりと生計を立てるには遠い地へと赴き、独り立ちしなければならない。故郷を長らく離れていると、もともと仲睦まじかった人々のこともすっかりと忘れてしまいます。ひさかたぶりに再会した幼馴染みの閏土(じゅんど)。閏土はかつては神話的な魅力を持つ少年でした。父から篤い寵愛を受け、閏土は朗らかな魅力を持っていました。閏土は活力のある少年で、キラキラとかがやいていた。しかし、三十年もの時を経て、閏土との再会をはたすと……。



みなさんは中国というと何を思い浮かべるでしょうか。ぼくは「四川のうた」という映画を思い出します。ツタヤでなんとなくこの映画のパッケージを発見し、その写真のじつに丁寧な色合いに魅入られて借りてみて、どうということもないインタビュー映像の数々に、いったいどうしてこんな映像的魅力が潜んでいるのだろうかと興奮しながら観ていました。この映画は、ある工場で働き続ける人々をノンフィクションとフィクションを交えて、静かに描き出してゆきます。とりわけ豊かでもなく、貧しくもない人々の暮らしぶりが描き出されていて、細部まで丁寧に作り込んでいる映画でした。その映画のワンシーンで、使い続けて短くなった鉄ベラが登場するんですが、ある若者がその短くなったヘラを捨てようとすると、一人の老翁が
「それは多くの人の手を伝わってきた。まだ使える」
と言うんです。じつに小さなエピソードを魅力的に描き出していて、新鮮な気持ちにさせてくれる映画です。日本の伝統工芸もそうですが、ごくふつうのモノなのに特別な気持ちにしてくれる工芸品を、長年作りつづけて世界を繋げ続ける人というのに、ぼくはすごく弱いです。そこにハードボイルドな気配とあたたかさを二重に見出して、おおーっと思うわけです。ぼくはそういった映画がなんとも言えず好きになって、中国に行ってみたりしたんです。



たとえばまだ吐く息が白くけぶる早朝の馬小屋があって、馬の力強い吐息が聞こえてくる。
その馬の蹄鉄に釘をカーンカーンと打ち付けて足まわりを調節し、長旅に備える男の、静けさとかっこよさみたいなものがどうしようもなく好きなわけなのです。そういうの、だれか映像化してくれませんか。だれか。






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